ども。ビールはやっぱりプレミアムモルツ派のアレキです。
今日は激忙だったので合宿なくてよかったです~
さてさて、きへたさんのブログを見て、うちのチームも振り返ってみようと思い、過去の戦績を見たらいろんなことが思い出されました。そんな回想と共にここで振り返ってみます。
第01回ベラドーナ杯 1137位
第02回ベッケンバ杯 不参加
第03回ドナウジョ杯 不参加
最初の3大会は連打戦だったので時間拘束がきびしい上、確か☆6がひとりしかいないくらい戦力が乏しかったので代表戦で上位に入ろうとすら思ってなかったときですね。
なによりまだまだ楽しむというより暇つぶしくらいの気持ちで遊んでたので、結果を出すチームはすごい力を入れてるんだなって思ってました。まさか自分がBFBに恋に落ちるとは思ってもみなかったときですね(笑)
第04回ビダン杯 268位
第05回クライブ杯 119位
プレガチャでイスエニタ、ナルベスを引いた当たりから少しづつのめりこんでいったのを覚えています。この頃からカンストレジェンド派遣が盛んになってきましたね。
カンストレジェンドがいるチームなんて雲の上の存在でしたね~。YクライプをゲットしてからLゲットへ向けての意識が高まってきました。
第06回パラ杯 50位
初(L)レジェンド!この大会には本気で挑んだので、手応えがなければ辞めようとすら思っていました。しかし、、、レジェンドゲットはなんと甘い蜜なのでしょう(笑)もうBFBの虜になりメロメロになってしまってから更に貢ぐことになるのです(笑)
時間ギリギリで完走したので50位から落ちた監督さん見ていたらすみません。この頃からしばらくは4411がメインフォメに。
第07回ドベカル杯 139位
第08回ゼーコ杯 42位
第09回バステン杯 43位 ☆60大会
パラゲットしたしドベカル大会は楽勝!なんて軽く見てたら連戦連敗。ここからまたハートに火がつきました。Lゼーコ、吉田麻也をゲットできたことが更なる飛躍へとつながっていきます。
このころにコンデモカさんとトレードしたり、アクア大阪さんとのやり取りがきっかけでブログをはじめる。記録に残ってるのはこのときレベル110。
第10回ベラドーナ復活杯 13位 ☆60大会
第11回フミット杯 1位 ☆60大会
涙の優勝!セクシーフットボールを掲げているのでなんとしてもレジェンドゲットしたかったですけど、まさか優勝できるとは思ってませんでした。今振り返ってみても間違いなくフレンド様のおかげですね。前大会でゲットしたベラを合宿期間ということもあって3日でカンストさせたことも大きかったと思います。
優勝フォメは4411。当時のスタメンは、コーン(フレンド)、カール、ファーデンド、吉田、バルザレッティ、太海肇、ロバン、バッケンバ(フレンド)、メッカム、ベラドーナ、パラ
第12回バロージ杯 66位
第13回ドマーリオ杯 329位 ☆60大会
第14回プロティニ杯 22位
4411が顕著に機能しなくなってきたのと、吉田マジックが終わったこともあり(笑)、一発屋としてこのまま去っていくのか!?なんて思ってた頃ですね。第一次引退説が湧いてきたのもこのころ。
フレンドリーマッチを200試合こなして数字をとって検証したことが、以降の代表戦にも活きてきたと思います。3223にすることで第14回大会は22位入賞。このころにプレミアリーグ昇格。
第15回マルザーニ杯 34位 ☆60大会
第16回ダノ・ザフ杯 215位 ☆60大会
第17回ゲルトミル杯 5位 ☆60大会
第18回ドベカル復活杯 25位 ☆60大会
☆60大会が続きましたね。青い目のマルザーニをゲットできたのは本当に嬉しいかったですね。新しいオプションが手に入ったことで戦術の幅が広がりました。この頃から優勝すること、全勝することを目標に毎回3日目まで綿密に調整を繰り返してました。
後はアプリ落ちを初体験したことで「どないやねん!」と怒り沸騰。そして第二次引退説が浮上(僕の中でですけど)。なんとかそれも乗り越え、気持ちは無制限へと向かうことに。
そして歴史は続く。
振り返ってみるとかなりアップダウンあるんですよね~。☆60大会はほんと難しいですけど、戦略戦術が好きな僕にとっては嫌いではなかったですね~。でも振り返ってみると多すぎですねこれ。これからは無制限をもっと増やして欲しいですね。

全国49位、横浜4位。。横浜名物死のリーグで揉まれてます(笑)
また年末にでもアレキサンドリアの歴史を振り返るその2をアップしたいと思います~
ちゃお。(ぱくり)